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第7章:その他

第10節:相撲

第7話:雲龍と不知火

新解釈の古事記


柔、剛、という二つの要素を 男側、女側に分けるとしたら、

イメージ的には
柔=女
剛=男

と分けられると考えられる。


高校入学の総代を務めるのはたいてい女性、
或いは、大学の主席卒業者に、女性が多いという話を聞いたことがあるだろうか。

本当の一番というか、最も優れている者は「女性」という不思議な現象。
種族としては男性の方が少なくとも腕力は上だし、
社会そのものがまだまだ男性中心の社会ということが、
男性の方が優れているという「目安」のひとつにもなる。
(あくまで目安である)

ここから分かることは
種族としては「男性」が有利であっても
個、としてはどうだろう?ということである。


思い出してみると、
ハイエナの世界は、1番上の統括的存在がメスであることで上手く行っている。

河童の世界では、
関東八州を治め、多くの河童たちのうえに君臨し、
九州の頭目を張っていた河童の王こと九千坊(くせんぼう)も
一度も勝てなかったと言われる河童の頭領は、
祢々子(ねねこ)という女河童なのだと言う。

邪馬台国は、
女性である卑弥呼が一番上に立つことで上手く行っていた。
卑弥呼がいなくなって、男性が治める世になった途端に争いが絶えなかった。

日本もまた、天皇の皇祖神はアマテラスという女神である。


何かにおいて、
「一番上」に何かを置く場合女性が割とあるのかもしれない。


「雌雄を決する」という言葉がある。
どっちが優れているか、勝負をする、というような意味だが、
この 『雌雄』 という単語に注目すると、
何故か「雌」という文字が先に来ているのが確認出来る。

全てではないが、たいていは、やや優れているものと思われるものが
先に出ている傾向がある。
(例:親子、兄弟、明暗、大小、貴賎、など)

「雌雄」の場合、「雌」が先に出ている。
これは、一体何故なのかということが議論されているようである。

真偽の程は分からないが、
ひょっとすると雌(メス)の方が優れているという証のひとつ、なのかもしれない。


...冒頭の「柔」、「剛」に戻すが、
仮に上記の要素を当てはめた場合、
「柔」の方が強いということになる。


ここでやっと、この節の相撲の話に入るが、
相撲の技は「柔」と「剛」に分かれていると思われる。

強きを競う相撲(すまひ)というものにおいて、
強さというものを分解すると、...そこにはやはり二つのものがあるのだとも考えられる。


土俵入りの型には、ふたつある。
片手を上げる雲龍型(うんりゅうがた)と、
両手を上げる不知火型(しらぬいがた)だが、

雲龍型が女性を、不知火型が男性を表しているようにも感じられる。

本当に個としては強い「女」と
通常の強さの象徴とされる「男」と―...

雲龍型を選ぶ力士が多いとされるが、
「柔」の強さを本能的に捉えているからかもしれない。



雲龍型と不知火型、というのは、
それぞれ、雲龍と不知火という人物が作ったとされるが...

雲龍型は不知火が、
不知火型は雲龍が作ったのでは...というちぐはぐな説がある。

柔をそのまま表す型と、
剛をそのまま表す型を作った二人は、

どちらも含んでいる型を一緒に作ったのだ。

即ち、柔でもあり剛でもある、独神のような型を。

しかしそんな優柔不断な型は誰もやらず、
(本能的に恐れ多いと思ったのかもしれない)
三つあるはずの型が、

二つだけになってしまった。

本当は、ツクヨミのように、三貴神なのに一つだけ目立たないかのような
第三の型があった。


第7章:その他「第10節:相撲 ー 第7話:雲龍と不知火」


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