ふることふみ

新解釈の古事記 
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第10節:相撲

第4話:龍虎


は、の神の生まれ変わり。
電は、の神が「強い男の子をお授け下さい」と願った女性に力を与え、生まれた人間。

風も雷も、戦いの神としての象徴として、繋がりが有る...

古来「龍は雲を呼び、虎は風を起こす」と言う。

虎は吠えて風を呼び、龍は雲を起こして雷を打つ。

龍虎という強者は
...狙ってこのふたつを意図的に付けている訳でなくとも、
強者の双璧は 風: 建御名方神ミナカタ 雷: 建御雷神ミカヅチ から来ている...のかもしれない。

力士の名前、相撲部屋の名前に於いて
風、雷、と付くものはいくつかある。
あまり気付かないし、

相撲の始祖の風の神と雷の神から来ているから、
があるのだと気付く人はあまりいないだろう。


龍虎の戦いというものは、
歴史が古く、元は神話の時代の、天津神と国津神の戦いからさかのぼる。

龍攘虎搏りゅうじょうこはくという龍虎を表した中国の故事成語があるが、
龍が攘い(うちはらい)虎が搏る(なぐる)、という様子を表し
強者二者が戦うという意味を持つ。

このことから、
日本だけでなく、外国ででも、強者ふたりを表す言葉は...風雷、という可能性がある。

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江戸時代、自身の力を恐れながらも
また高天原から、下の葦原中国に降り立ったことのあるミカヅチの話がある。

彼は可愛らしい女性のような格好で、葦原中国に来た。

高天原は天に位置し、清浄な地なのに
位置的に、そうならざるを得ないというか、
どうしても天よりも穢れが ― 埃は下に落ちる、のような原理で ― 穢れるはずの人間の地が
とても魅力的で
ミカヅチは憧れの地に来たと、草原の蛍たちがたくさんいるような所を見るような感じで
来たことが、ある。


その頃はもうすでに時が経っているので、とっくに葦原中国にいた国津神たちはみな寿命を迎えて、
人間が作った神社に魂が納められていた。
そのため、短い寿命ながらも、

原始的な方法で
― 神々たちは例えば誓約(うけい)のように物を使って自身の後続を創ることが出来るが、人間は男女の交合に拠ってのみ後続を増やせる、という意味 ―
命を繋ぎ、人間だけの世界になっていた。

ここで述べているように、
例外としてイザナギとスサノオは特別な存在ゆえに、
未だに肉体も含め現世で生きているのであるが。
(どうやって身を隠しているのかは分からない)


人間には、ミカヅチの姿が見える訳がないのだが、
鹿之助(しかのすけ)という少年は、何故かミカヅチの姿が視えた。

そして気さくに声を掛けたのである。

何故か自分の姿を視ることの出来る鹿之助を、
ミカヅチは気に入り、自分好みの強い力士を作ろうとした。

この頃は、まだ谷風や雷電が生まれる前の話である。

しかし、鹿之助は自分の願いを押し付けないで欲しい、
無理なものは無理だ、と言い、
結局ミカヅチの半ば一方的とも言える願いは叶わずに終わったのであるが、
ひとつだけ、人間が持つことの出来ない、
つまり日本の神々だけしか持つことの出来ない不思議な力を授かった。

「祓う」という力であった―......

言葉が悪いが、インチキ霊能力者が「ここに霊が視えます」だの「ここをお祓いしました」だの
本当に実際に目で視える訳でもないのに本当に不思議な力があるように振る舞うことがあるが

本当に、例えば人からオーラのようなものが視認出来たり、
実際にそれこそ本当に超能力のように祓うことが出来るのだ...

神の力(つまり国津神や天津神のこと)を、
人間でありながら持つに至ったのであった。

彼は、神(天津神)の力を持つ人間、つまり『現人神(あらひとがみ)』になったのである―...

神社にはしめ縄がある。
彼もそのしめ縄をまとう存在になったのである―...

初代横綱、明石志賀之介(幼名、鹿之助)は、その超能力とも呼べる、
祓う、という神力を後続に伝えた。

今に至るまで。
明石志賀之介がミカヅチから授かった神力は
電流のように伝わっているのである。


第7章:その他「第10節:相撲 ー 第4話:龍虎」


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