火
プリンス・エドワード島の海にやって来た悠悟と彩織。美しい海。
「(さぁちゃん・・・)」
彩織は思い出した。
いつも海を見る度に思い出すのだ。
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紫野 妃沙(むらさきの ひさ)。
彩織の祖母である。
彩織はお祖母ちゃん子であった。
妃沙の夫、つまり彩織の祖父は何処の誰だかハッキリしていなかった。
「海の人」と言うこともあれば「山の人」と言うこともあった妃沙・・・。
皆は「例えで言っているのであって、何か深い事情でもあるのでしょう」と言い合った。
勿論、戸籍は「未婚」のままである。
彩織の父親、つまり妃沙の息子は
「父親のいない人間」ということになる。
戸籍上。
この頃は丁度片親でも戸籍を作ることが出来る制度が出来ていたため、これについては特に問題は生じなかった。
父親が何か得体の知れない存在だからだろうか・・・。
その子供、つまり彩織の父親は不思議なオーラをまとった人間だった。
妃沙はいつも悲しいのか嬉しいのか分からないような表情で海や山を見た。
彩織は、「お祖母ちゃん、お外好きね!」と追い掛け、
ぎゅーっと後ろから抱き付いて
「まだまだ全然痛くないよ」と祖母に言われるのを楽しんでいた。
何となくウマがあるのだろう。
彩織は妃沙の家に行き、しょっちゅう妃沙にいたずらをして楽しい時間を過ごした。
「ねぇ、海と山、どっちが 好きなの?」
或る時彩織は訊いた。
妃沙は目をつぶって「海・・・残念ながらね」と言った。
え、山の方が好きでいたかったの?
驚いて聞く彩織。
「うん」下を向いて答える妃沙。
・・・
妃沙は彩織が小学校4年生の時に亡くなった。
「(お祖母ちゃん、好きな人、いたんだ・・・)」
・・・
お祖母ちゃん。
どうして。
『山の方が好きでいたかった』
・・・
旦那さんがいた・・・の?
ねぇ・・・お祖母ちゃん・・・。
「(海や山を見ていたのは・・・)」
『山の方が好きでいたかった』
山が、旦那の方、、なのね。
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彩織は両親と抜群に仲が良かった。
或る冬の日。
パチパチ暖炉が燃えている部屋で、
父親が専用のゆったり椅子に腰掛け、新聞を読んでいた。
※この頃は『昔に回帰しよう』風潮が出来ており、
煙の出ないタイプの暖炉、インターネットやテレビからではなく『新聞』から情報を得る、
など昔のものを取り入れる習慣が少しずつ浸透していた。
(この話全体そのものが近未来の世界なのかもしれない)
「パーパッ」
バシッ
彩織が後ろから抱きついた。
(バシッって・・・)
父親が振り向く。
彩織「さぁちゃん(妃沙の愛称)、元気かなぁ」勿論あの世で、である。
「元気だよ」
父親は優しく答えた。
「あのさ」
彩織は、、ためらいながら訊く。
海。
彩織「パパの、パ、パパって
う、海の」
彩織。
父親がさえぎった。
私はここにいるから
「父親」がいたのだろう
「それだけでいい」
海かもしれないね。
その優しい目は海のようであった。
「でも」
俺はさぁちゃんだけでもいいし、
ママ・・・花音だけでいい」
彩織「パパ・・・」
俺には「悪いけどママ以外どうでもいいんだ」
目をつぶる父親。
ママに出会わせてくれた・・・きっかけを作ってくれた両親には感謝するけどね。
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悠悟「海っぽいですね」
一連の話を聞いて冷静に言う悠悟。
「考え方が海っぽい」と言っているのか
「海側が父親なのであろう」と言っているのか。
或いは両方なのか。
悠悟がそう言うのなら、、そうなんでしょうね。
ざざん。
ふたりは美しい海の前で静かに立っていた。
海猫の声が聞こえる。
『海・・・残念ながらね』
・・・
妃の沙。ひのさ。
火の沙。
お祖母ちゃん。
彩織は心の中でつぶやく。
彩織「(山じゃなくて、海に飛び込んでいったの・・・。
火・・・消されちゃうの覚悟で)」
妃沙『彩織、はね・・・私が憧れていた名前だった。
素敵だわって思って。
息子が生まれて付けられなかったから。
だから孫が生まれた時嬉しかったものよ。
彩織、って付けられるわって』
美しい海を見る度に思い出す彩織。
祖母の、・・・妃沙の優しい笑顔を。
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海。
漁業に携わる人だったとか・・・。
彩織は考える。
「(海の近くに住んでいた、とか
どういう・・・人なのかしら)」
全くそれは謎に包まれている。
・・・
何が海で何が山なのか・・・。
「(私がやたら千葉の房総の海が好きなのって・・・
山が後ろにあるからなのね。
どっちもあるから)」
みゃーみゃーみゃー
(海猫)
手首を見る彩織。
血の中に真実が眠っている。
彩織と、父親の血の中に・・・。
海は全く荒れずに波音すら最小くらいの音を立てて、
宇宙よりも静かに。
ただ、「有った」。。
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