ふることふみ

新解釈の古事記 
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第2節:オサム記

第1話:オサム記(1)


人間というものは、神々にとって「綿」のような存在で
いつの間にか存在していた感じの不思議な存在であった。

神様と同じようなヒトガタをしており、寿命が短い。
神様は200年から600年生きる。

人間は弱く、神様が当たり前のように出来ることが出来ない。
(命をひとりで作り出したり、何かを出現させたり、など)

彼らは成長をし、やがて老いて寿命が尽きる。
その短い寿命の中で彼らは彼らなりに生活をしていた。
何も出来ない彼らは、神様に頼ったり、祈ったりすることで暮らしていた。

それぞれの神様の社(神社)を作り、
箱のようなものに神様の魂を容れてもらい、根拠も何もない不思議な行為「祈る」ということをしていた。

神様は魂の分割が出来、頼まれた場所に魂を納めた。

魂は元はひとつなので、
様々な場所に魂があれば、いつでもどこでも「その場にいる(その魂がある)」ということになる。


人間と神様は、色々な概念が違う。


魂の分割が出来るため、
魂を残したまま、違う魂の部分で「人間として生まれ変わる」ということをしている神様もいる。

或いは
イシコリドメのように、人間だったのに訳あって天津神になった、という存在もいる。



そんな「人間」の第一世代の物語である。


なつさんが黄泉の国から帰って来て、千引き岩の場所ではるさんの悪口を言いふらした時には
すでに人間たちがいたので、
一体いつから人間が存在していたかはさだかではない。


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美容の神、という国津神が何故か黄泉の国に居た。
名は天宇受賣命  あめのうずめのみこと(愛称:アメノウズメ)。
美容なので、お化粧や衣服、髪型などを美しく装うための神様で、
早く魂だけの存在になって神社に宿り、身軽になった状態で色んな存在たちに「美」の恵みを与えたいと思い、
滝の前でひたすら滝の水に当たり、葦原中国での肉体を溶かし、黄泉の国に来た。

国津神たちは、滝に当たることで肉体を消滅させ
黄泉の国に行くことが出来る。
何故滝なのかと言うと、「水で全てを流す」「穢れを取る」「綺麗にする」というものを極めると
『肉体の消滅』に繋がるためだ。
ただ、自ら黄泉の国に行く神はほぼいない。


はるさんが黄泉の国に来たばかりの頃、
(来て数時間経ったくらいの頃)
丁度黄泉の国にいたアメノウズメがはるさんと話をした。

始祖に会ったというのに、明るくフレンドリーなアメノウズメ。
ここで肉体が消滅して魂だけの状態になっても、
神様たちには姿が見える。
なつさんに魂だけの存在になった時に再会した時に
驚かせてやろうと。

「この世で一番綺麗、、ミナカヌシ(天御中主神。原初の神)より美しく・・・してみせます!
ミナカヌシ知らないけど!」

「?」
そもそも、綺麗に装って好きな人に見てもらって関心を得るとか
美しく装ってみんなに見てもらう、注目してもらう、ということが分からないはるさん。

概念やら発想やらが「アメノウズメ」が生まれたことで生まれたので
そのこと自体が新しすぎたのだ。
(現代の感覚で言うと、明治生まれの人に5Gのスマホ便利ですよ、と言ってるようなもの)


複雑な髪型なのに、実にゆったりとした結い方の美しい髪型。
現代でもこんな髪型を結える美容師は限られているかもしれないと思えるような・・・
服も、小柄さと可愛らしさ、高貴な感じが出ていて且つ色気もある。
化粧も、絵画の芸術作品のように素晴らしい。

意味が分からなくて固まっているはるさんを、
時間を掛けてアメノウズメはお洒落させた。

そして、アメノウズメはとても驚いた。
自分の腕ながら、素晴らしすぎるのではないか?
やはり私は・・・と美容の神に生まれるべくして生まれたかも、と興奮した。

黄泉の国は暗くて涼しい。
洞窟の中のような場所なのだが、閉塞感がある。

明らかに場所に勝っている存在であるアメノウズメが言った。
「今日、絵描きさんが、あ、人間のですね。
黄泉の国に来ているんですよ。
その人に描いてもらったらどうでしょう?」

「え・・・」

ひたすら赤くなってとどまうはるさん。
何故こんなに自分は照れているのだろう。


第7章:その他「第2節:オサム記 ー 第1話:オサム記(1)」


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