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第7章:その他

第1節:ナカトミ

第1話:ナカトミ

新解釈の古事記


ミカヅチが葦原中国に降下する前に大泣きしていた、
ミカヅチの家来、中臣命  なかとみのみこと(以下ナカトミ)。

高天原は、名前のついている存在と、存在をあやふやにされている「名前のついていない存在」がいる。

名前がついていない存在は、現代の我々でいうところの、
「人間にとっての服」とか「食器」とかそういうものに該当する、というと分かりやすい。

動いているか動いていないかという違いがあるが、
イメージとしてはそれが近いと言える。

当然、戸籍に該当するものがあれば、そこに記載されないような
そんな存在である。

ナカトミも、そんな存在であった。
神様についている使用人、世話人、家来的存在。
そういう立ち位置にいたが、
彼は前述のいきさつで主人であるミカヅチに「名前」を授けられた。

主人に名前をもらった、という点では、

のちに天智天皇から「藤原」の姓を授けられた中臣鎌足を彷彿とさせる。


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ちなみに名前の由来は、
この世界を創造した、つまりこの世で最も尊い神である「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」、の
『中』という字を取り、
最も素晴らしい「臣下」であるという意味を込めてつけた
「中臣命」ということである。

ごてごてした仰々しい、説明文のような名前より、
言い切ってしまうほど、尊い存在として短い名前にしたのである。

例えば「お金の神」だとすると、
仰々しい名前だと『豊さを提供し肉体及び精神を充実させる物質の尊い神』
などと付けられるところを、
「お金の神」と付けられるみたいなものである。
断定で言い切っているのだ。
ごてごてした名前なんて不要、ということである。


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ナカトミは高天原で暮らしている。
ゆえに歳を取らず、今でも生きているということになる。

ナカトミが葦原中国に下るという理由はないし、
彼が下に降り、子孫を残す理由はない。

ゆえに、今日本にいる「藤原(中臣)」はナカトミとは何の関係もない。

縁というものなのだろう。

ミカヅチに名前を授けられて存在を「確定」されたほどの存在:ナカトミと
ミカヅチを祖神として敬う中臣氏―・・・。

縁というものなのだろう。

ちなみに、中臣命は
後の「人間の世」に生まれた、「藤原不比等」に瓜二つになる。

やはりこれも縁なのだろうか。

血縁関係はないはずなのに。

中臣命は高天原で暮らし、
当然ながら藤原不比等は地上で暮らしている。

中臣命は、氏神をミカヅチとして祀っている中臣氏に生まれ変わり
そして国を良くしようとしたのだろうか。

ミカヅチがいる、葦原中国を、何とかするために―



さすがにそれは違うだろうが。
想いの強さというものは、大きな、大きな無限大の可能性を秘めている。


第7章:その他「第1節:ナカトミ ー 第1話:ナカトミ」

第1節:完


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