上総(千葉県)の地に行こうとした時の話です。
海の神様にあらかじめお祈りを捧げていなかったせいか、
海は荒れ出しました。
そのうち、嵐になり船は回転しだすほどになってしまいました。
そこへ、オトタチバナヒメが、自分が海神の捧げものとなって怒りを鎮めます、と
言い出します。
ヤマトタケルはやめろ!と必死で止めますが、
それでもそれでも、とオトタチバナヒメは入水しようとします。
必死の抵抗も虚しく、オトタチバナヒメは海の中に入って行きました。
沈む際には
8枚のつるで編んだ敷物の上に
8枚の獣の皮を重ね
8枚の絹の布を乗せたものを海に浮かべ、
そしてその上に乗って沈んで行ってしまいました。
途端に、海の神の怒りが解けたのでしょうか。
嵐が収まりました。
そして上総の地に着きました。
辿り着いた浜辺に、オトタチバナヒメの櫛が落ちていました。
深く悲しんだヤマトタケルは、その地にオトタチバナヒメの墓を作り、
櫛を納めました。
「やはり、男の旅に付いて行っては駄目ですよ。
こういうこともあるのだから、
待っていた方がいいです」という
メッセージを感じますし、
どんなに強くても、
海に出てしまえば誰も無力、という
自然の怖さを警告している部分も、もしかしたらあるのかもしれません。
悲しみをとにかく振り切り、
ヤマトタケルは東国征伐を続けて行きます。...が、何処に行っても負け知らずで
連戦連勝、父親に命じられた「東国12か国の平定」がありましたが、
ついに最後の敵を倒します。
...東国12か国の平定が終わったので、都に帰ることになります。
平定を命じられてから、もう何年も経っていました...
都に帰る途中、白い鹿に会い、ニンニクをぶつけて倒しました。
そして今まで征伐していた側...東側を向いて、
「
吾妻はや」と言いました。
=吾妻
=嗚呼、妻
嗚呼妻よ…
亡くなってしまったオトタチバナヒメを偲びます。
それまで、見ないようにして、必死に東国征伐をしていたので、緊張の糸が切れてしまったのでしょう。
それから、
東を見て「嗚呼妻よ」と言ったので、
あづまはや、あづま、...東(あづま)
東の事を「あづま」と言うようになったということです。
そして帰って行く最中に、尾張の国にやってきました。
東国平定が終わったら、結婚しようと言っていたミヤヅヒメがいるところです。
婚礼後に、もうずっと連勝しっ放しだったので、
安心したのか、何故かミヤヅヒメに草薙剣を預けてしまいます。
これがあるから戦いに勝った、と父親に思われたくない、
実力で勝ったんだ、とアピールしたくてそうしたのかもしれません。
次に立ち寄ったのは伊吹(いぶき)の山です。
すると、目の前に 牛のように大きな、真っ白な猪が現れました。
どう考えても神様ですが、
「俺だったら素手でもいける」と
勘違いしたヤマトタケルが歩みを進めると、
大きな雹(ひょう)がたくさん降ってきて、行くてを阻みました。
そのあまりの勢いの凄まじさに、ヤマトタケルはすっかり衰弱してしまいました。
↑少し前に、白い鹿の神様を弑していましたが、
次は白い猪です。
神罰を畏れぬおごりが、このようなことを招いたということです。
連戦連勝だったはずのヤマトタケルが、生まれて初めて負けてしまいます。
何とか頑張って山を降り、ほうほうのていで、
やっと三重県辺りにまで辿り着きます。
その時の足が、腫れてふくらみ過ぎて、三重に折りたたまれているようだ、と
ヤマトタケルが言ったことから、ここは
三重(みえ)と呼ばれるようになりました。
虫の息で、ヤマトタケルは国に対する和歌を詠われました。
倭は国のまほろば
たたなづく青垣
山隠れる 倭しうるはし
大和は国の一番素晴らしい所だ
並ぶ山脈はまるで美しい青い垣根のようであり
そこの中にある、大和の何と美しきことか
そしてそのまま、薨去しました。
訃報を聞いた人々はとても深く悲しみ、ヤマトタケルの
御陵(お墓)を作りました。
すると、ヤマトタケルの魂が大きな白鳥の姿になって現れました。
妻子たちは急いで白鳥を追い掛けるのですが、
全然追い付けません。
しかし、足がすり切れても、ボロボロになっても、
それでも追い掛けました。
白鳥(ヤマトタケル)飛び立って行ってしまいました。
後に、ヤマトタケルの御陵は
白鳥の
御陵と呼ばれるようになりました。
ヤマトタケルが白鳥になり、妻子たちが白鳥を追い掛けた時に詠われた和歌は、
大御葬歌と呼ばれ、
今でも天皇の葬儀の際に歌われています。
振り返り
(受験用に、個人的に作ってました。
初代~4代
5代~9代
10代~13代