フィアレス(恐怖欠如)

 

フィアレス。恐怖心の欠如、という意味だそうです。

何かの大きな事故で、九死に一生を得るようなそういう体験をすると、恐怖を感じるシステム(脳みその)が破壊され、恐怖を感じなくなるのだそうです。

上のは一例で、とにかく絶対死んでいたみたいなそういう状況での、奇跡の生還とか そういう体験ということですね。
全部が全部ではないようです。

これは、肉体的な「フィアレス(恐怖欠如)」。


最も恐ろしいのは、精神的なフィアレス。・・・なのかもしれません。


誰しも、見放され不安を持っています。
見捨てられたらどうしよう。縁を切られたらどうしよう。

親。上司。親友。配偶者。
我が子・・・


絶対大丈夫だと思っている人ほど、見放された時の恐怖は想像を絶するものでしょう。



物理的なフィアレス(肉体的なフィアレス)は、
命を守るのに役に立ちます。

道路の真ん中で歩いていて、車が来たら、ビクッとしますね。
そしてサッと避けますね。

恐怖があるがゆえに、こうして命を守ることに成功しているのです。

恐怖がなければ、車にぶつかっていたりするでしょう。
何しろ恐怖がないのですから。


この人は何しても大丈夫、そういう人に見捨てられる、
それは車の事故に遭うのと一緒です。

事故になんて起きる訳がない。
プップーと後ろからクラクションが鳴らされても、「大丈夫大丈夫」
そう思って車が勝手に自分をよけて走って行くことを予想しています。

でも、事故に遭うこともあります。
そりゃそうなのですが。

それが、精神的な、「見捨てられ」と
もし事故で死んだ場合は「肉体的な死」。
そして精神的なものの場合は「精神的な死」。 


精神的なフィアレスは、、、

そんなこと言ったら嫌われるよ? 離れられるよ? と人が思うことを、
へーきへーき♪
自分らしく生きて何が悪いの?
と、自分の心の赴くままに行動します。
人が傷付くことや、すごいことを「これが私だ」と
嫌われることを覚悟で言います。

そこまではいいのですが、
「この人にだけは見捨てられたくない」
というより、見捨てられだの何だの、そもそも意識したこともない
というくらい近い存在というか

そういう人に事故に死ぬ(=見捨てられて、精神的にどん底になる)
になるのでしょう。



九死に一生を得る体験・・・
あるのでしょうね。
誰も持っている。

実際に見捨てられた人もいるでしょう。
そういう人はフィアレスの逆で、恐怖過剰だとか、死んだり見捨てられたりしてもそれはそれ、と悟れるのでしょう。
(悟らざるを得ないというか・・・)



ただただ、「恐怖」という感情を大切にしてあげてください、と私は思います。

人間の脳みそは3つの器官が順を追って進化したと言われています。
その中で最も古い器官が恐怖を司っているらしいです。

恐怖があるから、人間は生きていけた。
恐怖がない人間たちはことごとく淘汰されていき、今の世界があるのでしょう。

恐怖こそが身を守れる、基本的なものです。



九死に一生を得たからと言って、死なない、見捨てられない、とフィアレスになるのは危険です。
かといえ、人に媚びを売って生きていく方が辛いでしょうけれど。

少し頭の片隅にそう思うのがいいのでしょう。




ゴルゴ13「死の恐怖・・・恐怖だけが我々を危険から遠ざけてくれる。
そうすれば生き残っていく事ができる・・・
俺は・・・そうしてきた・・・」

『ゴルゴ13』139巻 さいとうたかを著


 

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