その時は原因不明の疫病が流行り、みな困り果てていました。
その時の天皇である崇神天皇は「神のお怒りなのでは」と思い
身を浄め、神の信託用の寝床を作り、
そこで寝て神様の信託を待っていました。
するとそこへ現れたのは
大物主(オオモノヌシ)です。
オオモノヌシとは物質の神で、
大国主(オオクニヌシ)の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)...
つまり分身であり、
少し前に出て来た、トイレで用を足していたセヤダタラヒメのセヤダタラヒメに、矢の姿で突いた、あの神様です。
物質の神様が何やら言いたげなのは穏やかではありません。
オオモノヌシは
「私の社がちゃんと管理されておらず、荒れ果てている。
私の子孫である
意富多多泥古命(オオタタネコ)に祀らせなさい」
と言いました。
タヌキネコ、みたいで覚えやすいと思います。
お告げを受けた崇神天皇はすぐさま
オオタタネコという人物を探します。
見つかったオオタタネコという人物は、その役を引き受け、
ある話をします。
オオタタネコ:
『私の曾祖父の母親が絶世の美女で、
悪い虫が付くと困るということで、
ちゃんとした縁談が決まるまでは、と
両親が部屋に閉じ込めていたそうです。
そうすると、...
(セヤダタラヒメの時と同じですが、)
こっそりと何らかの動物とか物体に化けて、
オオモノヌシがその女性...
活玉依毘売(イクタマヨリビメ)の部屋に忍び込みました。
両親はそのことは何も知らず...
ちなみにイクタマヨリビメはあまりにも美しいオオモノヌシにすぐに夢中になり、相思相愛になったそうです。
何度もオオモノヌシが通っているうちに...とうとうイクタマヨリビメは妊娠してしまいました。
閉じ込めていたにも関わらず、妊娠している娘に、両親は呆気にとられました。
一体誰の子なんだ?ということになり、
その男が通った時に、こっそり、糸を通した針を男の着物に通しておきました。
朝になって、その糸を辿っていけば、その男が何処から来たのかが分かります。
両親とイクタマビヨリヒメが糸を辿っていくと、三輪山の社に辿り着きました。
つまり、オオモノヌシが祀ってある社です。
「オオモノヌシ様が通ってたのか…」という結論になったそうです』
ちなみに、大量の糸が 三巻き(三輪)だけ残っている距離だったので、
三輪山と呼ばれるようになったようです。
そして糸はかぎ穴から外に繋がっていました。
そんな小さなところから入れる訳がないのですが、
オオモノヌシはヘビの神様でもあるので、
ヘビの姿になって忍び込んだと思われます。
ヘビは金運に繋がる神様なので、
物質の神=オオモノヌシと繋がりがあることが分かります。
・・・
オオタタネコの話を聞いた崇神天皇は
「オオモノヌシ様の子孫だから、祭祀をさせよとの仰せだったのか」と納得し、
社を綺麗に整備して、オオタタネコに祭主を任せました。
たちまち疫病が収まり、平和な日々が訪れました。
崇神天皇が、
「疫病は収まりました。有難う御座います」と
お礼を言おうとして引き続き 信託の床に就いていると...
アマテラスが出てきました。
崇神天皇はとても驚きました。
アマテラスは皇祖神です。
初代天皇...神武天皇の、5代上の先祖です。
アマテラスは言いました。
「オオモノヌシを社を新しくし、祀ったそうであるけれど、
オオモノヌシを過剰に祀ると、均衡が崩れる。
均衡のために、私を祀りなさい」
バランス、というものがあるのだという話をしました。
そういう訳で、アマテラスの御神体である 八咫鏡(やたのかがみ)を、
何処か相応しい場所を探して、社を作って祀る、ということになりました。
崇神天皇その役目を自分の娘に命じ、しばらくその場所を探すことになります。
実際に見つかるのは少し後です。
その後、崇神天皇は謀反を企んでいる伯父を討ち、
東北を平定しました。
神武天皇は、まず九州にいて、神武東征で近畿に進出して即位したので、
まだ東北は平定していなかった訳ですが、
...10代天皇の時にやっと東北も平定したという訳です。
次には、国の元首(代表者)の宿命である、
「国民からの要望、苦情を一身に受ける」という試練を受けます。
そこでやっと誕生したのが『税金システム』です。
国が道路や川の整備を行う代わりに、
国民が収穫物や布を納める、という制度です。
…こうして、国は疫病も去り、国土は大きく平定され、
国は豊かになって行きました。
◆三輪山の社の整備や、アマテラスを祀る場所を探す(社の整備)
◆東北平定、
◆税金システムを制定
数々の働きをした崇神天皇は168歳で崩御します。
168歳というのは、有り得ない年齢ですが、
10代天皇の頃なので、まだ神様との血が残っていて、寿命が長いから、という意味を込めているのだと思いました。